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デフリンピック関連年表

本年表は、三菱財団助成事業「デフリンピックに関する資料の収集・保存、展示、普及のためのプロジェクト」で作成したものです。
(作成年月:2025年5月)

1871イギリスでグラスゴーろうあサッカークラブが設立(世界初のろうスポーツ団体)
1880ミラノ会議(第2回聴覚障害教育国際会議)で口話教育推進を決定
1888ドイツで聴覚障害者スポーツ協会が設立
1911フランスで聴覚障害者スポーツクラブが設立
1918ウジェーヌ・ルーベンス・アルケイスが、フランスろう者スポーツ連合(FSSF)を創設
1924第1回国際サイレント競技大会(フランス/パリ)
● 8月10日から17日まで、デフリンピックの前身となる「国際サイレント競技大会
(International Silent Games)」がパーシングスタジアムで開催(9か国から参加148名、女性は1名のみ)。

8月16日、「国際サイレントスポーツ委員会」が発足
● のちの国際ろう者スポーツ委員会(CISS/ICSD 以下、ICSD)
192610月31日にブリュッセルで開かれたICSDの総会で、ICSD憲章が採択
第1回ろうあ者陸上競技大会開催(日本)
1928第2回国際サイレント競技大会(オランダ/アムステルダム)
1930日本聾唖協会内に体育部を設け、陸上競技以外にテニス、野球、水泳などの競技を行なった。
1931第3回国際サイレント競技大会(西ドイツ/ニュルンベルグ)
● ナチス支配の初期にポーランドの聴覚障害者の競技者が国境で拒否されたにもかかわらず、記録的な数の国と選手が参加した。(316名 14か国)
● 大会は国際オリンピック大会との日程の競合を避けるため、1932年ではなく1年早い1931年に開催された。
1933世界記録委員会が設立され、陸上競技と水泳の世界記録を監視し、記録をリストアップした。その後、射撃の記録も対象に拡大された。
1935第4回国際サイレント競技大会(イギリス/ロンドン)
● アメリカ合衆国が 1935 年にICSD に加盟し、初のヨーロッパ圏外の加盟国となった。
1939第5回国際サイレント競技大会(スウェーデン/ストックホルム)
● 大会は、各スポーツ部門を担当する技術委員会を設立。
 開会式では、デザインコンテストでシャンテ氏がデザインした、青と緑のシンボルの国際サイレントスポーツ委員会の公式旗が発表された。

第二次世界大戦により、この年以降大会は中断された
1946第二次世界大戦後の 7 年間の中断を経て、この年にパリで開催されたICSD総会で第 1 回冬季大会の開催が承認された。
19475月、全日本ろうあ連盟結成(日本)
1949第6回夏季国際サイレント競技大会(デンマーク/コペンハーゲン)
● 国際サイレント競技大会は、第二次世界大戦による10年間の中断にもかかわらず、大きな復活を遂げた。これまでの大会で最も多くの選手が参加した。(391名 14か国)
● バスケットボールと水球が初めて競技に追加された。
第1回冬季国際サイレント競技大会(オーストリア/ゼーフェルト)
● 5か国から参加33名。ポスターには女性が描かれていたが、女性参加は0名。
19519月、イタリアのローマで第1回世界ろう者会議開催中に世界ろう連盟( World Federation of the Deaf、WFD)設立
1953第7回夏季国際サイレント競技大会(ベルギー/ブリュッセル)
第2回冬季国際サイレント競技大会(ノルウェー/オスロ)

● 冬季デフリンピックと夏季デフリンピックが同じ年に開催されたのはこれが最後だった。
1955第3回冬季国際サイレント競技大会(西ドイツ/オーベルアンメルガウ)
● 国際オリンピック委員会(以下、IOC ) は ICSD を、「オリンピック水準を有する国際競技団体である」と認定した。
● 夏季国際サイレント競技大会との 2 年間隔の始まり。後にIOCは、1992年の夏季・冬季オリンピックでこの2年間隔を採用した。
1957第8回夏季国際サイレント競技大会(イタリア/ミラノ)
● 競技に卓球を導入。
1959第4回冬季国際サイレント競技大会(スイス/モンタナヴェルマラ)
1961第9回夏季国際サイレント競技大会(フィンランド/ヘルシンキ)
● 競技にレスリングを導入。
1963第5回冬季国際サイレント競技大会(スウェーデン/オーレ)
● 第5回冬季国際サイレント競技大会の開催を希望する国が他になかったため、スウェーデンが土壇場で開催を申し出た。ICSD総会はスウェーデンの申請を直ちに承認した。

3月、日本ろうあ体育協会結成
19641月、日本ろうあ体育協会がICSDに加盟
1965第10回夏季国際サイレント競技大会(アメリカ/ワシントン)
● ヨーロッパ圏外で行われた最初の大会。
● この夏季大会に日本が初参加、初メダルは卓球と陸上競技。
● 大会のポスターに初めて「デフ(Deaf)」が表記された。
1966ICSD はスポーツへの貢献が認められ、IOC よりオリンピック杯を授与された。
1967第6回冬季国際サイレント大会(西ドイツ/ベルヒテスガーデン)
● 冬季大会に日本初参加。
● ICSD は世界規模の大会であることを認識するために、今後の大会名を「世界ろう者競技大会」に変更することに合意した。
第1回全国ろうあ者体育大会(日本/東京)
1969第11回夏季世界ろう者競技大会(ユーゴスラビア/ベオグラード)
● 大会名称をThe World Games for the De(af世界ろう者競技大会)と変更。
● 飛び込み競技が行われたが、以後、飛び込み競技は国際ろう者競技に復活することはなかった。ハンドボールとバレーボールが初めて導され、初の複合競技である五種競技も導入された。
● 参加者数が1,000 名を突破(1,189名 33か国)。
1971 第7回冬季世界ろう者競技大会(スイス/アーデルボーデン)
1973第12回夏季世界ろう者競技大会(スウェーデン/マルメ)
1975第8回冬季世界ろう者競技大会(アメリカ/レイクプラシッド)
● 日本がアルペンスキーで初入賞。
1977第13回夏季世界ろう者競技大会(ルーマニア/ブカレスト)
● 東ヨーロッパで初めて開催された。
● 日本、団体競技初参加(男子バレーボール)。
1979第9回冬季世界ろう者競技大会(フランス/メリベル)
● 第9回冬季世界ろう者競技大会前に開催された総会において、ICSDは組織の名称を「国際ろう者スポーツ委員会」に変更することを決定した。
● 競技者は聴覚障害者でなければならず、聴覚障害の定義は、良い方の耳の聴力が少なくとも55デシベル以上とする参加資格の規定がICSD総会で制定された。
1981第14回夏季世界ろう者競技大会(西ドイツ/ケルン)
● IOC 会長フアン・アントニオ・サマランチ氏が初めて臨席した。
● ドーピング検査が初めて実施された。
● ベネズエラ出身のマリア・デ・ベンデグス氏が執行委員に女性として初めて選出された。ICSDは、最高委員会に女性が選出される初の国際スポーツ組織となった。
● 日本、女子バレーボール初参加。
1983第10回冬季世界ろう者競技大会(イタリア/マドンナ・ディ・カンピリオ)
● 第 10 回冬季世界ろう者競技大会を前にした総会で、ICSDは競技中にろう者の選手が補聴器を使用することを禁止とした。これは「スポーツを通して平等を」というモットーを強調するものである。
1985第15回夏季世界ろう者競技大会(アメリカ/ロサンゼルス)
● 大会で、IOC の旗がICSD の旗に隣接して掲げられるようになった。
● 競技にバトミントンを導入。
● 日本、テニス初参加。
1987第11回冬季世界ろう者競技大会(ノルウェー/オスロ)
● オスロは2回目の冬季世界ろう者競技大会を開催した最初の都市。
1989国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee 以下、IPC)が発足、当時はICSDも加盟した。

第16回夏季世界ろう者競技大会(ニュージーランド/クライストチャーチ)
● 南半球で初めて開催された。
● この大会で初めてライトシグナルシステムが使われた。
1991第12回冬季世界ろう者競技大会(カナダ/バンフ)
● 競技にアイスホッケーを導入。
1993第17回夏季世界ろう者競技大会(ブルガリア/ソフィア)
● 飛躍的に参加国と参加人数が増えた(1,680名 52か国)。
● 本大会からICSDの2番目のロゴが使用された。
1995第13回冬季世界ろう者競技大会(フィンランド/ユッラス)
● 総会において、ICSDは全会一致で国際パラリンピック委員会から脱退し、IOCの支援を受けて独立を維持することを決議した。
● 新しい賞「フェア プレー」が創設された。この賞は、ICSDのテクニカル ディレクター(以下、TD)によって指名され、大会期間中にアスリートとして優れた人格を発揮したアスリートに贈られる。
1997第18回夏季世界ろう者競技大会(デンマーク/コペンハーゲン)
● IOC 会長のフアン・アントニオ・サマランチ氏が再び臨席した。
● 競技にボウリングとオリエンテーリングを導入。
● デンマーク聴覚障害者スポーツ協会が担当し、同協会の創立75周年記念式典も開催された。
● ワイデックスによるフェアプレー賞授与が始まった。
● 日本、バドミントン初参加。
● 参加者数が2,000名を突破(2,028名 65か国)。
1999第14回冬季世界ろう者競技大会(スイス/ダボス)
● CISS/ICSD の設立 75 周年が祝われた。
● 日本、アルペンスキーで初メダル。
20005月、この大会の名称を「デフ・ワールド・ゲーム」から「デフリンピック」に変更することが、IOC によって公式に認められた。
2001第19回夏季デフリンピック(イタリア/ローマ)
● 日本、ボウリング初参加。
● 大会名称をデフリンピック(World Summer Games of the Deaflympics)に変更。
2003ICSD初の女性会長として、ドナルダ・アモンズ氏が選出された。
ICSDの新しいロゴが制定された。

第15回冬季デフリンピック(スウェーデン/スンツヴァル)
● 競技にスノーボードを導入。
● 日本、スノーボード初参加、初金メダル。
20047 月、ICSDは世界アンチ・ドーピング機関(WADA)の加盟団体となった。それまでは国際大会の開催地とICSDとの協定の他は、公式な反薬物使用の規程が存在していなかった。
11月、ICSDとIPC は、相互理解覚書(MOU)に署名した。それぞれの団体の自治を相互に認識し尊重することをはじめ、重複障害のあるろうの選手がIPC の各種競技会への出場を可能とすることや、聞こえる方の耳で 55 デシベル以上の聴力障害がある重複障害の選手が、ICSDの大会や世界ろう者選手権に出場する資格があること等も含まれていた。
2005第20回夏季デフリンピック(オーストラリア/メルボルン)
● デフリンピックのウェブサイトに、世界各地からのアクセスが認められた(大会中、500万以上のアクセス)。初めてインターネットによる動画配信が行われ、400 万人以上が観戦した。
● 水泳、水球、陸上、射撃、バスケットボールでは、視覚を利用した補助具が使用された。
● 競技にビーチバレーボールを導入。
200612月、第61回国連総会で手話も言語に含まれることが規定された障害者権利条約が採択。
2007第16回冬季デフリンピック(アメリカ/ソルトレークシティ)
2009第21回 夏季デフリンピック(台湾/台北)
● アジアで初めて開催。
● 競技に柔道、空手、テコンドーを導入。
20101月のICSD総会で「ICSD戦略計画2010-2013」が承認された。本計画の活動周期は、夏季デフリンピックの開催周期と合わせることとされた。

7月、カナダのバンクーバーで行われた第21回聴覚障害教育国際会議で手話の復権が決議された。
2011第17回冬季デフリンピック(スロバキア/ハイタトラス)
● 開催1週間前に中止となった。
2013第22回夏季デフリンピック(ブルガリア/ソフィア)
● 当初の開催国ギリシャが撤退し、代替開催国も撤退し、ブルガリアは2012年に非常に遅い通知で開催を引き受けた。開催地のソフィアは、夏季デフリンピックを 2 回開催した数少ない 2 つの都市のうちの 1 つである。
● 夏季大会の女性選手の参加人数が初めて男性選手の半数を超えた(男性1792名、女性919名)。
● 競技に自転車(マウンテンバイク)を導入。
2015第18回冬季デフリンピック(ロシア/ハンティ・マンシースク)
2017第23回夏季デフリンピック(トルコ/サムスン)
● 競技にゴルフを導入。

12月19日、第72回国連総会において9月23日を手話言語の国際デーとする決議が採択された。
2019第19回冬季デフリンピック(イタリア/ヴァルテッリーナ、ヴァルキアヴェンナ)
● 競技にチェスを導入。
2022第24回夏季デフリンピック(ブラジル/カシアスドスル)
● 2021年12月に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大により、2022年5月に延期された。
● 空手競技では、TD会議で日本代表チームからの提案により、デフリンピック公式ルールとして「形名の申告を手話で申告することも可」が初めて正式に認められた。日本代表選手が初めて手話による形名申告を成し遂げた。

9月9日~ 10日にオーストリアのウィーンで開かれたICSD総会にて、東京が2025年夏季デフリンピックの開催地に正式決定した。
2024第20回冬季デフリンピック(トルコ/エルズルム)
● 競技にフットサルを導入。
● 冬季大会の女性選手の参加人数が初めて男性選手の半数を超えた(男性314人、女性220人)。

10月、ICSDが100周年記念式典を開催(フランス/パリ)
2025第25回夏季デフリンピック(日本/東京)
● 11月15日~26日、デフリンピック日本初開催。